黒島の魅力
小さな島に、見所いっぱい。黒島は江戸時代「隠れキリシタン」達が集った島です。
長崎県北部の北松浦半島西沖合にある、長崎県佐世保市の九十九島の中で一番大きな島です。
江戸時代キリシタン禁止令により禁教だったキリスト教を伝承する人々が、黒島に「隠れキリシタン」として潜伏した歴史を持つ島であり、その子孫が今なお住み、現在も8割がカトリック信者です。
その特異な歴史背景から、様々な文化が生まれました。
- 住所:長崎県佐世保市黒島町
- 面積:約4.5km
- 周囲:約12.5km
- 人口:約390人(令和5年4月現在)
- アクセス:【フェリー】相浦港(佐世保市)→高島→黒島港(50分~1時間)
18世紀後半長崎県北部の潜伏キリシタンが移り住みました。
1865年3月17日浦上の信徒がプチジャン神父に信仰告白し、その噂を聞き密かに信仰を守っていた黒島のキリシタンが1865年5月19日にプチジャン神父に信仰告白しました。
その後、黒島の信徒はカトリックの洗礼を受け、1872年にポアリエ師が宣教師を招き今の「信仰復活の地」で初めてのミサを行いました。
その6年後の1878年、ペル-師によって黒島に教会堂が建立されて 今年で130余年を迎えます。
今も8割がカトリック信徒であり、「隠れキリシタンの島」として苦難の歴史があります。
黒島の人口は明治維新・1800人、大正9年・2270人、昭和10年・2070人 昭和45年・1820人、平成元年・1100人、平成20年・650人、平成30年・450人と、島に主な産業がなく 中学校までしか学校がないため中学校卒業と同時に島を離れる現状のため、年々人口は減り続けています。
その時の季節に獲れる 新鮮な魚介類が日頃から黒島島民の食卓を賑やに彩ります。
また、黒島は島全体が肥沃な赤土で出来ているため、ジャガイモ、玉葱、大根、人参などの 根菜類の野菜のおいしさは格別です。
佐世保港相浦港からわずか50分で、離島ならではの黒島の魅力をたくさん感じる事ができます。
国の重量文化財でる黒島天主堂など、見ごたえある建造物に、手付かずの大自然が作り出した造形美。
- 下記をクリックしてください。大きな写真がご覧になれます。説明は下記にございます。
国指定重要文化財 黒島天主堂
黒島のシンボルでもあり、島民の拠り所です。国の重要文化財でもあります。
1902年に当時の主任司祭マルマン神父が島の信徒とともに建造しました。
レンガ造りで建物は天井が高く、3層構造になっています。こうもり天井や束ね柱など細部までこだわって作られており、その荘厳な姿に思わず息を呑みます。床には鮮やかな有田焼のタイル、ステンドグラスやフランス製の聖鐘が建設当初より使われています。当時としては画期的な構造になっており、その後の教会建築に大きな影響を及ぼした文化的価値が非常に高い建造物でもあります。
2007年1月に世界遺産暫定リストへの追加記載が決定しました。 誰もを魅了する美しい姿が必見です。民宿つるさきからは徒歩圏内です。ぜひご覧ください。
※黒島天主堂の見学をご希望の方は長崎教会群関連遺産インフォメーショへ事前予約が必要です。またこの黒島天主堂は今も信者の皆さんにとって大切な祈りの場であり、観光施設ではありません。
観光を目的として訪問される際には教会でのマナーを守りましょう。
アコウの木
アコウはクワ科イチジク属の、高木の亜熱帯を中心に分布する植物です。黒島でも海岸各所に自生していますが、根谷アコウは飛びぬけて巨大でありその巨大な姿に圧巻されます。
発芽当初は他の木に着生し、枝や幹からたくさんの「気根」と呼ばれる根を伸ばしながらその木を覆っていく絞殺木となります。
アコウの木は岩をもかかえ込みます。木根が垂れ下がったその姿から「タコの木」「絞め殺しの木」との呼ばれます。
串の浜岩脈
長崎県指定天然記念物。長崎県下最大規模。
島西部の海岸にある総延長約300mに及ぶ長崎県最大の玄武岩岩脈(岩盤の裂け目に地下のマグマがせり上がり、冷え固まったもの。)です。大地の力を感じるすばらしい自然の造形美です。
カトリック墓地
島民の8割がカトリック信者。カトリック墓地には、日本ではあまり見られない風景が並んでいます。
信仰復活の地
黒島で最初にミサが行われた場所です。
1956年12月25日に記念碑が建てられました。
最初は「信仰発祥之地」となっていましたが信仰が生まれた場所でなく、復活の場所であるということで、平成元年8月に「信仰発祥之地」の文字を削り取り、「信仰復活の地」の文字を植え込みました。
市指定天然記念物 根谷の大サザンカ
根回り4m、幹回りり18m、樹高約10mの黒島が誇る堂々たる巨木です。
350年~400年の樹齢と見込まれ、温暖な黒島の気候を象徴する木でもあります。
潜伏キリシタン達は、このサザンカの種を集めて油を採り、食用油として利用していました。
条件の悪い土地に住まざるを得なかった潜伏キリシタンの生活の一部を支えた、島の歴史を物語る木です。